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2022年10月11日

023 アスリートのサポート

いつまでも「次の試合」があるわけではない。
一般的な就業期間よりも短く満了を迎えるのがアスリートである。

年齢的な規定があるわけでもなく、自分の意思でその卒業すべき日を決める。それは我々が想像するより遥かに難しい決断なのだろうと推測できる。好きで始めた競技でも、親や友人の影響で始めたスポーツでも、きっかけは何であれ、職業としてそれを選んだときから「引退」という日に向かって進んで行く。

ケビン山崎が日本へ来たのは、元プロ野球選手 清原和博氏のパーソナル・トレーナーとして、より一層専念するためだった。そして、ケビンが迎えた第一号の「引退」は清原氏の引退となった(2008年)。あれから、何人かのアスリートの引退を見送ってきたケビンは、彼らのこれからにも携わっていきたいと都度思うらしい。先日の元小結 千代鳳の引退も例外ではない。



令和3年11月場所を最後に土俵から降りた千代鳳。2015年からケビンとトレーニングをし、度重なる怪我にも屈せず、突き押しを得意技として闘い続けた。生涯戦歴430勝363敗104休(80場所)という成績を残した千代鳳は常にどこかを痛めており、ケビンからカラダの使い方についてトレーニング指導を受けていた。6年間のトレーニングでどんなやり取りがあったのか?我々には知る余地もないが、断髪式にて髷にはさみを入れるその瞬間、二人の特別な会話がその関係性を物語っていたように思う。



佐ノ山親方としてこれからの人生、後世の指導に力を注ぐことを決断した千代鳳。
その決断をケビンも同じ指導者チームとして温かく見守り、そして仲間としてお互いを高め合う存在になっていくことだろう。



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いつまでも「次の試合」があるわけではない。
一般的な就業期間よりも短く満了を迎えるのがアスリートである。

年齢的な規定があるわけでもなく、自分の意思でその卒業すべき日を決める。それは我々が想像するより遥かに難しい決断なのだろうと推測できる。好きで始めた競技でも、親や友人の影響で始めたスポーツでも、きっかけは何であれ、職業としてそれを選んだときから「引退」という日に向かって進んで行く。

ケビン山崎が日本へ来たのは、元プロ野球選手 清原和博氏のパーソナル・トレーナーとして、より一層専念するためだった。そして、ケビンが迎えた第一号の「引退」は清原氏の引退となった(2008年)。あれから、何人かのアスリートの引退を見送ってきたケビンは、彼らのこれからにも携わっていきたいと都度思うらしい。先日の元小結 千代鳳の引退も例外ではない。



令和3年11月場所を最後に土俵から降りた千代鳳。2015年からケビンとトレーニングをし、度重なる怪我にも屈せず、突き押しを得意技として闘い続けた。生涯戦歴430勝363敗104休(80場所)という成績を残した千代鳳は常にどこかを痛めており、ケビンからカラダの使い方についてトレーニング指導を受けていた。6年間のトレーニングでどんなやり取りがあったのか?我々には知る余地もないが、断髪式にて髷にはさみを入れるその瞬間、二人の特別な会話がその関係性を物語っていたように思う。



佐ノ山親方としてこれからの人生、後世の指導に力を注ぐことを決断した千代鳳。
その決断をケビンも同じ指導者チームとして温かく見守り、そして仲間としてお互いを高め合う存在になっていくことだろう。



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